灰と幻想のグリムガル
の話をする。俺はアニメから入って小説も読んでるけど、ふとアニメを見返してこの世界が好きだということを改めて思ったのでそのことについて綴る。
命のやりとりなんだ
敵と戦っているという実体はあるものの実感はなく、どこか浮ついた仲間に送られたこのセリフが俺はとっても好きで、この世界をよく表している言葉だと思っている。
灰と幻想のグリムガルのアニメは2016年冬に放送されていて、同時期にはこの素晴らしい世界に祝福を!とかも放送されていて、前々から漂っていた異世界ものが丸みを帯びてきたような時期だったと思う。灰と幻想のグリムガルはそんな異世界ものの中でも、現実感というものが一段上の世界だと思っている。
この世界ではゴブリンですら初めはまともに倒せない。数人がかりでやっと一匹のゴブリンを仕留めることで精一杯だ。今の俺が武器を持ったところでまともに使いこなせない、ましてや肉や骨を切ることの重みを受け入れることはできないだろう。そんな現実さがひしひしと伝わってくるんだ。相手は敵で魔物だが、相手の命を絶つという覚悟が持てていないのがよくわかる。それが如何に難しいことかがよくわかる。
「これは、命のやりとりなんだ」
そうやってようやく、生きていることを実感する。これは現実なんだと実感する。ゴブリン一匹を倒す。一匹しか倒していないけど時間が必要だった。命のやりとりという重みを受け入れる時間が。この世界はそういう余韻すら持たせてくれる。ゴブリン一匹に必死になって、死ぬ思いをしながら彼の命を絶つ。そうやって生きていかなければならないことを受け入れる。生きている喜びを知る。今まで見ていた景色さえ変わって見える。夕日ってこんなに奇麗だったんだな。
命のやりとりなんだ
似たような感情を抱いた作品がある。SAO。SAOも、あれは異世界じゃなくてバーチャルだけど、あの世界で生きている実感がある。だって死んだら死ぬ。ログアウトもできないから、あの世界で生きている。相手はバーチャルっていうところが違うところ。命のやりとりは教えてくれなかった世界。(PvPは命のやりとりだが)
似ているようでちょっと違う。俺はどっちも好き。命のやりとりというか、本物が好きなんだろうな。
命のやりとりなんだ
グリムガルはそういう世界観の他にも好きなものがたくさんある。よくありそうなあの環境も、水彩画チックな背景も、地味で頼りなくて可愛くてカッコよくてむかつく多彩なキャラクターも、それを完璧に演技している声優も、急に流れる音楽も、テンポが良いのか悪いのかわからないあのストーリーも。
アニメは小説2巻までぐらいの内容だと思うんだけど、それも丁度良いね。アニメの続きはなくても良いと思ってる。小説もそれなりにリアルに続いていくんだけど、だんだんそうも言っていられなくなっていくので、あれをアニメのクオリティでやろうとするのは大変だと思う。でも大丈夫、この12話で伝えたかったであろう世界観はちゃんと伝わってきたし、あのキャラクター達はちゃんとあの世界で生きている。